見えてきた出口
出口が見えてきた。
小児ネフローゼ症候群で入院している長男の退院が見えてきたのだ。
入院してから8ヶ月になる。
これまで色々な治療法を試してきたが、ようやく数値が安定するようになり、薬を徐々に減らしていって退院の見込みが立ってきたのだ。
長かった。
まだ終わっていないから過去形にしてはいけないが、本当に長い道のりだった。
付き添い入院によって仕事の面や次男の面倒など、生活面で苦労したこともあるが、それ以上に長男が不憫でならなかった。
体を動かすことがとにかく好きな長男に、病室での生活を強いるのは気の毒だった。
代わってやりたい。本当に心から思った。
なぜこうなったのか、これまでの生活を思い出し後悔したこともあった。
それでも長男は明るさを忘れずにやってこれた。
様々な人に支えてもらったからだ。
一人では生きていけないということを実感したし、人の巡り合わせというのはこうやって繋がっていくんだなということも知った。
これは小さな息子にもきっと伝わっていることだろう。
自分の生き方を考えるきっかけにもなっている。
これからの自分はどうあるべきか、アラフィフの自分も挑戦が必要ではないかと思うようになった。
振り返るのはこの辺にして、とにかくこのまま長男の体調が変わらず、無事に進んでいってほしい。
今の自分の願いはそれだけだ。
自分はどこへ行く
自分の方向性を考えている。
アラフィフになり、仕事の面ではある程度の自信を持ってやってきている。
しかし、小さな子供が二人いることや長男の入院などもあり、昇進試験は受けることを辞めてしまった。
一度昇進試験を受けることを辞めてしまうと、それは諦めたことになるらしく、今年は上司から声もかからなかった。
上司も自分のような存在は厄介だろう。
一丁前のことは言うが、責任を負う立場には行かないと言っているようなものだから。
退職も視野に入れているとはずっとこの日記に書いてきているが、その中で色々考えてきた。
自分は何ができるだろうか。
畑違いのことはできるだろうか。
今のスキルを生かしてできることはないだろうか。
日に日に強くなっているのは、自分のこれまでの経験を生かしたい、という思いだ。
だから自分は、今の仕事に対する考えをどこかで表現・実現できないかと考えている。
昇進して変えるという選択肢は無くなってしまったが、別の形で実現したい。
同じような悩みを持つ人へのコーチングか。
自分の実践を伝えるインフルエンサー的なことか。
はたまた違う選択肢か。
私より若い政治家が、退路を絶って勝負に出た。
結果は想像以上の圧勝。
彼のメッセージは心に響く。
自分の信念がぶれない。こんな人に人はついていくのだろう。
単純に格好良いと思った。
ぶれぶれな私は、どこに行くのだろうか。
いいんだ、焦らなくて。
私はずっと真剣に考えているんだ。
心のゆとり
少しの余裕が生まれてきた。
ネフローゼ症候群で入院中の長男は週末になれば家に戻るようになった。
ひと気のないところに限定されるが、少し遠出もできるようになり、行ったことのない公園に行ったり、外でご飯を食べたりするようになった。
自分の時間というのはまだまだゼロではあるが、どちらかが子供達の面倒を見れば、何とかもう一人は外へ出ることができる。
実際妻には職場の歓迎会などに参加してもらった。
私はこの8ヶ月一度も飲み会に参加していないが、そろそろ出てもいいかなと思っているし、それを妻とも話している。
暖かくなり、日も長くなった。
身なりも軽くなり、荷物も少なくなった。
次男を保育園に出すにも、夜明けが早くなったことで寝起きが良くなり、時間がかからなくなった。
心に少しのゆとりというものが生まれてきている。
とはいえ、仕事の忙しさは相変わらずで、特にこのひと月は私が休むと職場が回らなくなりそうな状況だ。
最近は職場の雰囲気もあまり良くなく、成果が出ないことへの焦りや疲れを感じている表情が見られる。
何とかしていきたいと思っている。
長男に関しては、順調にいけば夏には退院となり、そこから自宅療養が始まる。
妻が長期の休暇を取ることが決まり、長男と過ごすことになるため、経済的には苦しくなるが、何だか吹っ切れたような、そんな感じではある。
この先のことも、ここ数ヶ月で学びが得られ、方向性が見えてきた。
仕事を辞めたらどうすればいいか、自分には何ができるのかずっと考えてきたが、何となくこれかなというのが見えつつある。
何よりも長男の体調の安定が心の安定につながっている。
きっとそれは自分だけでなく、妻もそうだろう。
ああ、問題もあった。
起きれないのだ。夜中や早朝に起きてYouTubeを見たりブログを書いたりしているのだが、それがなかなかできない。
これには困っている。
まあよく眠れるということは、気持ちが安定しているからなんだろうな。
寂しい日本ダービーの日
私は競馬が趣味だ。
もうファン歴は30年以上になる。
もともときっかけはオグリキャップか。
よくは覚えていないが、有馬記念をテレビで見てからのファン。
その後ダービースタリオンという競馬ゲームで深みにハマり、馬や人のストーリーから馬券の検討まで、なんでも好きだ。
家族ができてからは時間や資金も限られるようになり、今はおとなしく細々と馬券を嗜む程度だが、それでも欠かさず馬券を買う日々だ。
競馬ファンにとって、ダービーは特別な日だ。
今日は日本ダービー。
私はここ10年以上ダービーは決まった人たちと過ごしていた。
行きつけの飲み屋の仲間でバーベキューをするのだ。
その中でダービーを楽しむ。
1年に1回だけの特別な日。
毎年この日が楽しみだ。
酔いながらあーでもないこうでもないと予想をしながら、時には自分の、そして仲間の子供の相手をしながら、ダービーをみんなで見て楽しむ。
…が、今年は行けない。
誘いも来なかった。
当たり前といえば当たり前だ。
もう7ヶ月、店に顔を出していない。
長男の入院の事実はわかっているし、これないと思っているのだろう。その通りだ。
でも私がいない7ヶ月で色々動いているはずだ。
新しい常連もできただろう。
長男は一応帰宅はできていて、家族は家にいることはできている。
しかし、それでも今回は参加しなかった。
行きたいのだが、長男を連れていったこともある場所に私だけ行くのは、やはりできない。
きっとわかると長男は残念がるだろう。
寂しい。
私は今、忘れ去られる恐怖のようなものを感じている。
今まで仲良くしていた人たちが離れていっている。
居場所が減っていく。
少し話が逸れるが、仕事の面でも同じだ。
今の自分はいろんな場面でよくしてもらっている感じがある。
職場の中でも、職場を離れて人と接する時も、両方だ。
それは自分が今、職場の中では重要なポジションにいるからであり、それなりに社会的信用のある仕事をしているからではないだろうか。
息子のこともあり、出世は諦め、仕事を辞めることを考えている。
辞めてしまえば自分には何が残るのだろうか。
同世代で出世している人や財をなしている人、明るく楽しそうに趣味に没頭している人など、自信ありげに振る舞っている人を見るたびに、これから先の自分のことを考え、気持ちが重くなる。
私も生き方を変えて前向きに行けば良いのはわかっている。
自分の能力にも少しは自信がある。
しかし、こういうちょっとした出来事のたびに、心がマイナスの方向に進んでいく自分がいる。
今回のダービーは家で馬券を買って楽しむ。
せめて馬券が当たれば良いが…
次男発熱、完全分離生活
次男が発熱した。
月曜日の早朝、38.5℃の熱が出たらしい。
私は長男と病院に居たため、妻から報告を受けた。
この週は私も妻も仕事が立て込んでいて、外せない日が多く、焦った。
月曜日は午前午後を交代する形で、次男の面倒を見ようということに。
朝早くには熱も下がり、食欲もあり元気だったらしい。そこで総合病院は受診せず、午後に耳鼻科を受診するという話になった。
午後私が行った時も次男は元気で特に問題ないようだった。
受診の結果は風邪。薬を処方してもらいその日は就寝。
食欲も普通にあった。
次の日。
目やにが多いのが気にはなったが、平熱でもあったので保育園に登園させた。
2時間後電話が鳴る。
保育園からだった。
発熱が見られるらしい。元気もないので迎えにきて欲しいとのこと。
保育園ではRSウイルスがたくさん出ていると言うので、感染症に注意しなければならない長男のことを考えると、次男は自分が、長男は妻がと言うように完全に分担して世話をしていく必要がある。
その日は受診することは時間的にすでに難しかったので、次の日に受診することになる。
休みが…厳しい。
職場も行事が立て込んでいて忙しい時期。申し訳ない気持ちもあるが仕方ない。
次の日、総合病院を受診。
小児科の待合室は激混みだった。
次男の気を紛らわすための遊び道具を持ってくれば良かったなと後悔した。
1時間くらい待っただろうか。
長男の主治医が見てくれた。
なんだかホッとする。
「やっぱり似ていますね」
「症状も酷くないですし、追加の薬を出してきますから様子を見てください」
「早く良くなって、○○くん(長男)が外泊できればいいですね」
「うちの病棟もすごいんですよ」
そんな話をする。
次男は熱は出ていない。
しかし、咳と鼻水の症状は続いている。
これは明日すぐに良くなるものではないと言うことは一目瞭然だった。
母親に頼んでみるか。
実家の両親に連絡した。
父が今月から仕事を再開し、難しい状況にあるのは理解していたが、仕事も外せない状況にあるし、すがる思いだった。
3、4日こちらに来てくれることになり、次男の面倒を見てくれることになった。
父が半日休みを取り、母だけを置いて帰るということになった。
本当にありがたい。
これで完全分離生活もなんとか成立する。
とにかく、週末までに次男は回復して欲しいものだ。
長男の調子が良い分、外泊できないとなるとストレスが爆発してしまいそうだ。
長男の見通し
長男は少し明るい兆しが見えてきた。
小児ネフローゼ症候群で入院している長男。
昨年の10月からかれこれ7か月が過ぎようとしている。
その間様々な治療法を試し、4月に県内の大学病院でリツキサン投与というものを行ってきた。
免疫がほとんど無くなるというリスクもありながら、一応その治療が効いて、今は尿蛋白の数値はマイナスで安定している。
このまま続けば、今大量に服用しているステロイド治療薬や免疫抑制剤を徐々に減らしていき、それがある程度まで減らせれば退院となるそうだ。
減らすスピードはとてもゆっくりで、2週間かけて半錠ずつ減らしていくという感じだ。
飲んでいるのは4錠ほどであるから、これだけで2か月かかる計算になる。
ただ、退院したと言ってもすぐに日常生活に戻れるというわけではない。
退院後は自宅療養の期間が必要になるらしい。
保育園などの菌がたくさんある場所へはなかなか行けないのだそうだ。
確かに、それもそうだ。
妻は休職し、自宅での生活を見ることに決めた。
妻の後釜が早く決まれば良いのだが。
休むなら妻、辞めるなら自分と何となく決めていて、ついに現実となる感じだ。
まあこれまでそうしなくて良かったのが奇跡的かもしれない。
義母に感謝だ。
息子は今は週末には自宅に戻ってきている。
少し外にも出て過ごせるようにもなっている。
人がいるところには行けないが、外で遊べるだけで、嬉しいものだ。
元々体を動かすことが大好きな長男。
走っている姿を見ると、私が嬉しくなる。
当たり前にできることのありがたさを感じる。
とにかくこのまま、行ってほしい。
息子の気持ちを考えると、この先またがっかりさせるのは本当に可哀想だ。
とにかく、このまま。
初のキャラ弁作り
次男の遠足の日がやってきた。
私は眠りが浅い方だ。歳を重ねるに連れその傾向は強くなっている。
子供と一緒に布団に入るため、寝るのは21時前後。
早い時にはその日のうちに目が覚める。
その日のうちに目が覚めた時はもう一度寝直すのだが、大体は午前2時前後に目が覚める感じだ。
そしてそこからぐだぐだスマホを見たり、一旦起きてブログを更新したりする。
そのまま起きることもあるし、もう一度寝ることもある。
従って、弁当を作るため早起きする必要があるものの、私の場合はいつも通りであれば黙っていても早起きするのだ。
前日の晩。
一応、3時にアラームを掛けた。
念のため、だ。
結果。
午前1時に目が覚めた。いつも通りと言えばいつも通りだ。
しかし、何となくもう一度寝てしまうと起きれないような気がしてくる。
これは緊張というやつだろうか。
スマホでYoutubeを見たりゲームをやったりして、3時前に起きて作業開始。
なぜピカチュウなのか。
ネット上に情報がたくさんあるからだ。
世の中の器用な皆様のお力を借りなければ、絶対にこのミッションは成功しない。
ピカチュウは黄色い。
黄色は卵で表現できるから私も取り組みやすいのではと思っていた。
オムライスのようにして薄焼き卵で囲むらしい。
これならできるのでは。
家にピカチュウのグッズは特にないが、知っているキャラクターだし、こないだおもちゃ売り場でピカチュウの人形を欲しいと言っていた。
そんな感じで決まったのだ。
さて、
まずはモンスターボール作り。
ちなみに私はポケモンはほぼ知らない。
そんな私でもモンスターボールは知っている。
調べたところによると何種類か作り方があり、今回選択したのはトマトとうずらの卵で作るパターン。
なるほど、乾燥パスタで留めるのか。時間が経つと柔らかくなるからいいらしい。
初めて知った。
海苔で巻いてチーズで丸をつけて完成。
結構上手くできている。
さあ、いよいよピカチュウだ。
オムライス作りは特に問題無いのだ。
形づくりのコツを見ると、ラップでしっかり成形することが大事らしい。
お、ここまでは意外と順調じゃん。
我ながらこれはいける。
そう思ったが。
顔のパーツを切る作業が…とにかく大変だ。
海苔を小さく細かく切ることがこんなに難しいものだったとは。
完全に舐めていたな。
妻が言っていた。
「言っとくけど、キャラ弁は難しいぞ」
なるほどな、こういうことだったんだな。
パーツの切り方、パーツの置き方でピカチュウがピカチュウではなく、なんか得体の知れないキャラクターの表情になるから不思議だ。
何回か試行錯誤して…
完成。
いやー、よくできているのではないか。
午前5時25分。
私の1日はここで終わった。笑
この後の出勤はもはや惰性でしかない。
1日分のエネルギーを注ぎ込んだのだからね。
さあ、次男は喜んでくれるだろうか。