アラフィフ父ちゃん日記

現在幼児2人の父です。中年パパの肉体的、精神的な苦労などを綴っていければと思います。

次男の遠足が近づく

次男の遠足が近づいている。

 

 

別に今まではなんてことない行事だが、今回は一味違う。

 

妻が長男の病院に付き添っている。

 

 

つまり、弁当を作らなくてはならないのだ。

 

 

これはハードルが高い。

 

これまで何回か遠足はあったが、常に妻が作った弁当だった。

いわゆるキャラ弁というやつだ。

 

かわいいキャラクターの形をしたお弁当を、子供達は楽しみにしていたし、実際に喜んでいた。

 

その役目を果たさなくてはならないのだ。

 

 

さて、どうする。

 

選択肢は二つ。

 

キャラ弁は無理と諦めて普通に弁当を作る。

絵心は無いが料理は普通にする私にとっては何とかなる選択肢か。

 

②頑張ってキャラ弁を作る。

次男は喜ぶだろう。(うまくいけばだが)

絵心が全く無いという私の問題点は残る。

 

 

どちらにすべきだろうか。

 

 

考えた末、キャラ弁を作ることに決めた。

 

今はネットというとても便利なものがある。

検索してできそうなものを探してみよう。

 

うまくいかなければそれはそれで面白いのではないか。

(次男のトラウマにならなければ、という注釈はつくが)

 

しかし…

次男は何のキャラクターだと喜ぶのだろう。

 

「いないいないばあ」の「わんわん」は妻が作っている。

「うーたん」もそうだ。

 

しかも、次男。

うーたんの時は

「うーたんだけ?どうしてわんわんいないの?」

みたいなことを言ったはず。

 

2歳児は割とはっきり言うのだ。

 

そしてそれ以外に好きなキャラクターは…

あまりピンとこない。

 

さて、何にしようかな…

 

簡単そうで、次男も喜びそうなキャラ。

 

うーん。

 

遠足当日は普通のお弁当を作っているかもしれない。笑

忘れていた感覚

家族全員で過ごすってこんな感じだったな。

 

忘れていた感覚だった。

 

 

大型連休となり、入院中の長男も数値が安定していることから、暦通りの外泊が許可された。

これまでの一日二日と違い、6日間の外泊だ。

終わった後の反動が怖いのは確かだが、こんなに長期間の外泊は初めてで息子同様自分もテンションが上がる。

 

特別これをしようということはない。

人がたくさんいるような所には行けないし、何より体調を一番重視しなければならない。

だから、行楽地に行くこともないし、友人に会うこともない。

でも、やはり嬉しいものだ。

 

 

家の前でバーベキューをした。

10ヶ月前にこの借家に越してきたのは、アパートではできないことをするためだった。

その一つがバーベキューだ。

初めてバーベキューするまで、こんなに時間が掛かってしまった。

 

外で食べるのはやはり気持ちが良い。

子どもたちもよく食べる。

特に次男は、肉はあまり好きではないはずなのに本当によく食べた。

 

私は焼くのに集中。ベストの焼き加減で食べさせたいからね。

 

「とうちゃん、食べて」

妻に言われるが、いいんだ。

こうやって焼いている時間が好きなんだ。

 

いろんなことがあった。夏に越してきたがコロナ禍に巻き込まれることになった。

そして10月に息子が入院することになった。

そこから半年。

長い冬を超え、まだ息子は入院中だが数値の安定が見られるようになり、ようやくここまで来た。

 

身体中が臭くなってみんなでせっせと風呂に入るのもまた良し。

 

 

当たり前の日常というものはこんな感じだったのかな。

なんでもないことをみんなで話す。

テレビを見ながら夫婦でクイズに答える。

子どもたちは二人で遊んでいる。喧嘩しながらだけど。

 

幸せを感じる。

 

 

早くこれが本当の日常に戻ってほしい。

強く思った。

息子が入院してからの日々は、時間ではなく心の余裕が無くなっていた。

 

この期間は自分にとっても心の余裕を取り戻す期間。

 

息子たちの寝相が悪すぎて完全に寝不足になっているけどね。

自分には友達がいないのかもしれない

今悩んでいることはたくさんある。

 

ほとんどは息子の病気がきっかけになってはいるのだが。

 

家族バラバラの生活。

夫婦の会話の減少。すれ違い。

時間的な面で完璧にこなせない仕事。

職場の中での微妙な立場。

職場の懇親会に参加できないことに対する疎外感。

転職に対する不安。タイミング。

行きつけの店に出掛けられない寂しさ。

友人に会えない孤独感。

 

 

こうやって挙げてみると思うのは、自分という人間は、調子が良い時はいいが、いざ自分がピンチになった時に頼るところって無いなあということだ。

 

プライドが邪魔をしているのだが、結局は弱さを見せられる相手がいない。

 

本当の意味での友達がいないのかもしれない。

俺は。

 

 

友達に会うにしても、自分がカッコよく見える場所や相手を選んでいる。

仕事にしても自分がよく見られるようにして、弱みは絶対に見せない。

 

それが自分のポリシーだからだ。

自分には取り柄がない。

これだけは誰にも負けないというものがない。

総合力で勝負するしかないと思い続けてきた。

全体の雰囲気を磨くことでなんとなくできる感を出し、これまでやってきたんだ。

 

 

その結果。

悩んでいることはあるが、それを言える人がいない。

そんな相手がいたところで、悩みを言ったところで解決するものではないとわかっているし、だからそんなものはいらないと思い続けてきた。

うーん、間違っていたかな。

 

 

妻を見ていると、友達に囲まれている。楽しい時も悲しい時も悩んでいる時も一緒にいれる友達がいて羨ましいなと思う。

 

妻が一番悲しんで、悩んでいる。

自分が一番力にならなくてはいけないはずなのに、なんだか自分が一番足を引っ張っているような。

 

 

さて、切り替えないと。

連休はリフレッシュできる時間がいくらかは取れそうだ。

エネルギーを貯めて頑張れるようにしないとな。

半年ぶりの実家

半年。

長男が入院してから、自分の街を一歩も出たことが無かった。

 

入院はまだまだ長くなるが、暦に近い外泊は認められたため、私の実家に帰り、そこで来年入学する子供対象のランドセルの展示会に行くことになった。

 

久しぶりに家族で出かける。

嬉しかった。

 

少し前までは当たり前の光景。

こんなに長い間身動きの取れない生活をするとは思ってもみなかった。

 

コロナ禍で窮屈な暮らしをし、そこから息子の入院。

 

自分の生活は180度変わってしまった。

 

平日は基本的に父と2歳の二人暮らし。

土日は長男と病院。

 

平日は家事と次男の相手で時間が無く、土日は長男と病院で時間は余るほどあるができることが限られる。

 

自由にできることは、子どもがおとなしい時にスマホでゲームをやるかYouTubeを見るか。

 

妻と話す内容は家事の分担の話か息子の病気の話。ほとんど会うことはできない。

 

他愛もない話などする余裕もなく。

 

 

そんな中でのゴールデンウィーク

当たり前のことができそうなゴールデンウィーク

 

 

半年ぶりの実家でソファに横になる。

自堕落な息子だった私は、いつもここに横になり、だらっとしていたのだ。

 

半年の間にソファが新調されていたことには少し驚いたが、横になればいつもの感じが蘇る。

リラックスしていた。

 

二人の息子ははしゃぐはしゃぐ。

「ジジ、ジジ」と常に呼び、家の中をグルグル。

それを自分は追いかけることもなく、ソファで横になって聞いている。

 

休日を感じる。

この感覚は久しぶりだ。

 

 

洗車もした。

そういえば、車を洗う暇もなかった。

自分が一人でやることは、ほとんどできなかったのだから当たり前だ。

 

黄砂で汚れたボディは綺麗にできたが、室内までは手が回らなかったな。

室内を綺麗に保つことは意識してきたのだが、入院してからは一切できなくなった。

 

掃除することができなくなったし、車内でコンビニのおにぎりを頬張ることも増えたため、一気に汚れた気はしている。

 

次は車に掃除機を丁寧にかけて、拭き掃除をしたいものだ。

 

 

まあ、かなりリラックスして気分転換はできた。

車の中で妻とじっくり話をするつもりだったが、息子のアニメ鑑賞でそれは叶わず。

次回に持ち越しとなった。

 

連休もまだあるし、楽しく過ごしたいものだ。

厳しい現実

今までで一番希望が見えていたのに、一番厳しい現実を突きつけられた。

 

 

心が折れかかっている。

 

最低でも2ヶ月の入院が必要だと言われて始まった入院生活。

 

そこから半年が経った。

とても長かったが、必死にやってきたからか、何とかやってこれた。

 

いろいろな治療法を試し、ようやく薬が効いていると感じたリツキサン治療。

明るい兆しが見えてきたところだった。

 

「順調に行って、あくまで順調に行って、あと半年で保育園に通えます」

 

主治医からの言葉だった。

直接聞いたわけではないが、妻がLINEで教えてくれた。

 

 

これまで半年。ここから半年。

1年かかるのか。

それも順調に行って。

もしかするともっと長くなるかもしれない。

 

息子は1年、病院や自宅で過ごすことになるのか。

 

いろいろ考えた。

この1年でできるはずのことができない。

行事もそうだろうが、体力面や精神面が心配になる。

 

体の成長は止まっている。大きな差になっていくだろう。

 

息子はショックを受けるだろう。

そもそも、保育園にいるうちにちゃんと戻れるのだろうか。

 

 

「○ちゃん、もたないな」

次に思ったのは、義母のことだった。

 

私たち夫婦が共に仕事ができるようにするために、昼の長男に付き添ってくれている義母。

 

流石にあと半年お願いしますとは言えない。

 

もう無理だ。

 

妻が、

「私が休むしかないでしょ」

と言っている。

 

自分の仕事の責任の重さからそう言っているのだが、まあ今休むということであればそうであろう。

 

しかしこの先のことを考えると、本気で自分が辞めるタイミングを考えなければならない。

 

妻はまだ若いし、先がある。

 

自分は出世の道からは外れたし、そうなると発言にも説得力はなくなる。

いい歳をしているし、普段から偉そうなことを言っているが、もうすでに今の仕事には居場所がなくなりつつあるのだ。

まだ多くの同僚が気づいていないだけで。

 

できれば退職金が上乗せされる勧奨退職をしたいと考えていたが、無理かもしれない。

 

仕事柄、年度途中でハイさようならとはできるものでもない。

次年度引き継ぐ準備をしないことには、そう簡単にやめられるものでもないだろう。

 

いつにする。

どのタイミングで決めたらいい。

セカンドキャリアについてもどこかに相談できればいいのだが…

 

息子の入院から半年

息子の入院から半年。

同時に飲み会というやつに行かなくなって半年が経つ。

 

 

この街に10年ほど前に越してきてから、職場よりプライベートの関係を大事にしてきた私は、初めのうちは1人で飲みに出かけることが多かった。

 

その中で独自の人間関係も築いてきたが、小さなこの街で長く住んでいくに連れ、職場と個人の関係が繋がるようになり、今はどちらも同じように大切な関係を築いている。

 

1人でも飲みに出るし、職場の仲間とも積極的に交流してきた。

人との繋がりは大切だ。自分が存在することの意味を感じることができる。

充実していたと思う。

 

 

そんな日々が息子の入院で一転した。

 

全ての飲み会を断る状況になったのだ。

もちろん自分から行くことも無くなった。

 

 

私自身これといった趣味はない。

 

唯一、友人との飲み会で言いたいことを言ったり、カラオケで歌ったりといったことが楽しみで生きてきたといっても過言ではないのだ。

 

その楽しみが無くなった。

しばらくは現状を生きるのに必死だったこともあり、仕方ないと感じていた部分もあったが、時が流れていくにつれ、疎外感というか寂しさのようなものを強く感じるようになってきたのだ。

 

 

仕事の内容が、管理職の意図を汲み取って周囲の職員へ仕事をお願いする立場になってから1年以上経つ。

 

それだけで若手とは少し距離ができた気がしたものだ。

 

それでもプライベートでも飲みに誘ったり誘われたりする中で、信頼感は維持してきたと自分では思う。

 

今も決して信頼が薄らいでいるとは思わないが、以前にも増して仲間との距離ができたなあという感じはする。

 

自分だけが思っているだけかもしれないのだが、男ってやつはプライドの生き物だから、話の中心に居ないことへの寂しさがやはりある。

 

若手の話の中に飲み会でのエピソードが出てきたりすると、

「ああ、俺の居場所は無くなってきたなあ」

と感じてしまう。

 

自分の上司もそういう場が好きなこともあり、これまでは私が店を決めることが多かった二次会も、上司の行きつけに変わってしまった。

 

これが現実なんだろう。

 

 

そういえば、昇級試験の話をされていない。

いつもであれば、上司が昇級試験の書類を渡し、

「受けるといいよ」

と言われるのであるが、今年は無い。

 

以前、息子の病気の話から、退職も視野に入れていると言った。

上司の立場で見れば、先を見据えない人物はあまり育てても意味がないという気持ちも理解できる。

 

なんなら、もっと若いやつに今の私の立場を与えて、育てていきたいと思っているかもしれない。上司と同じくらいの年代の人がただの平職員でいることは、上の立場から見れば目の上のたんこぶになりかねないのだ。

 

 

自分の居場所はどこにあるのだろうか。

家族の中にはとりあえずはあるかな。

でも一つしかない状況はでも格好悪いし、余裕がない。

 

ちょっと自慢できるようなスキルもない。

家族はもちろん大事だが、そのほかに俺にはこれさえあればという、どハマりしているようなものもない。

 

うーん、

改めて考えると自分って取り柄のない人間なんだなあと思う。

広く浅くで生きてきた自分の生き方を、少し後悔する日々なのだ。

次男、ギターを弾く

ギターをやりたいと次男が言い出した。

 

テレビで弾いているのをみてそう思ったらしい。

 

元々次男は歌を歌うのが好きだ。

長男はとにかく戦隊もの仮面ライダーなどのキャラクターが好きだが、次男は「おかあさんといっしょ」でも「いないいないばあ」でも、キャラクターを楽しむというより歌や踊りを楽しんでいる。

 

親バカなのだろうが、次男は歌がうまい。そしてかわいい。やはり親バカだな。

 

そんな音楽が好きな次男。

だから本当は長男のために買った小さなピアノも、次男が使う事が多い。

 

そもそも、ものを与えられるのは圧倒的に長男ばかりで、次男のために買ったものはいったいいくつあるのか…あまり思いつかないくらいだ。

 

とはいえ、長男のおもちゃを存分に使い、楽しそうに遊んでいるので問題はないのであるが。

 

 

実はギターはあるのだ。妻の実家に置いてある私のギターが。

 

ちなみに私は全く弾けないが。

 

20年くらい前だったろうか、弾けるとかっこいいなと思って3万円ほどで購入したが、Fのコードができず、アパートぐらいだったんので思い切りできず、指の痛さを乗り越える事ができず、すぐに挫折。

 

飾り物になっていたのだ。

 

 

次の日。保育園に行く時も、

「ギターやりたい、ギターやりたい」

と言っていた。

 

そんなに興味があるのか。

「帰りに○ちゃん(妻の母)のとこによってギター持っていくか」

なんてことを言ったが、迎えにいく頃には忘れているだろう。

 

 

と、思ったのだが。

 

「ギター取りに行こう。ギター取りに行こう!」

 

忘れていなかったのか。

そうか、それなら仕方ない。

 

義母の家に寄り、年数は経っているのに使用感のあまりないギターを持って帰った。

 

 

次男は楽しそうに音を出す。

鳴るだけで楽しいんだろう。

 

歌を歌いながら、琴のように横倒しで置いたギターを鳴らす。

 

 

挫折するなよ。