アラフィフ父ちゃん日記

現在幼児2人の父です。中年パパの肉体的、精神的な苦労などを綴っていければと思います。

息子の入院から半年

息子の入院から半年。

同時に飲み会というやつに行かなくなって半年が経つ。

 

 

この街に10年ほど前に越してきてから、職場よりプライベートの関係を大事にしてきた私は、初めのうちは1人で飲みに出かけることが多かった。

 

その中で独自の人間関係も築いてきたが、小さなこの街で長く住んでいくに連れ、職場と個人の関係が繋がるようになり、今はどちらも同じように大切な関係を築いている。

 

1人でも飲みに出るし、職場の仲間とも積極的に交流してきた。

人との繋がりは大切だ。自分が存在することの意味を感じることができる。

充実していたと思う。

 

 

そんな日々が息子の入院で一転した。

 

全ての飲み会を断る状況になったのだ。

もちろん自分から行くことも無くなった。

 

 

私自身これといった趣味はない。

 

唯一、友人との飲み会で言いたいことを言ったり、カラオケで歌ったりといったことが楽しみで生きてきたといっても過言ではないのだ。

 

その楽しみが無くなった。

しばらくは現状を生きるのに必死だったこともあり、仕方ないと感じていた部分もあったが、時が流れていくにつれ、疎外感というか寂しさのようなものを強く感じるようになってきたのだ。

 

 

仕事の内容が、管理職の意図を汲み取って周囲の職員へ仕事をお願いする立場になってから1年以上経つ。

 

それだけで若手とは少し距離ができた気がしたものだ。

 

それでもプライベートでも飲みに誘ったり誘われたりする中で、信頼感は維持してきたと自分では思う。

 

今も決して信頼が薄らいでいるとは思わないが、以前にも増して仲間との距離ができたなあという感じはする。

 

自分だけが思っているだけかもしれないのだが、男ってやつはプライドの生き物だから、話の中心に居ないことへの寂しさがやはりある。

 

若手の話の中に飲み会でのエピソードが出てきたりすると、

「ああ、俺の居場所は無くなってきたなあ」

と感じてしまう。

 

自分の上司もそういう場が好きなこともあり、これまでは私が店を決めることが多かった二次会も、上司の行きつけに変わってしまった。

 

これが現実なんだろう。

 

 

そういえば、昇級試験の話をされていない。

いつもであれば、上司が昇級試験の書類を渡し、

「受けるといいよ」

と言われるのであるが、今年は無い。

 

以前、息子の病気の話から、退職も視野に入れていると言った。

上司の立場で見れば、先を見据えない人物はあまり育てても意味がないという気持ちも理解できる。

 

なんなら、もっと若いやつに今の私の立場を与えて、育てていきたいと思っているかもしれない。上司と同じくらいの年代の人がただの平職員でいることは、上の立場から見れば目の上のたんこぶになりかねないのだ。

 

 

自分の居場所はどこにあるのだろうか。

家族の中にはとりあえずはあるかな。

でも一つしかない状況はでも格好悪いし、余裕がない。

 

ちょっと自慢できるようなスキルもない。

家族はもちろん大事だが、そのほかに俺にはこれさえあればという、どハマりしているようなものもない。

 

うーん、

改めて考えると自分って取り柄のない人間なんだなあと思う。

広く浅くで生きてきた自分の生き方を、少し後悔する日々なのだ。