自分の価値
最近は長男の病気のこともあり、いつまで今の仕事ができるかということばかり書いている気がする。
実際その通りで、長男が今住んでいる街ではなく、別の街の病院に転院ということになれば、仕事を本気で考えなければならない。
そこでいつも考えるのが、今の仕事を辞めた時の自分の価値だ。
自分という人間は、教員という今の仕事を失ったとき、どんな価値を持っているのだろうか?
まもなく50歳を迎える自分に、どんな価値があるのだろうか。
おそらく多くの人たちが考えるであろう、退職後の不安を抱えているのだ。
よく月給10数万円の仕事を辞めて、動画編集を始め、今は月収100万円を超えました、みたいな話をYouTubeやwebサイトで見かけるが、それは退路を絶っても失うものがあまりないからこそできたのではないかと思う部分もある。
自分の仕事は安定はしている。公務員という手前、社会的な信頼が得られる。収入もそれなりにある。今自分が住んでいる地域でこれと同じくらいの収入を得られる仕事はそうないと思う。
今までは、自分が教員だからこそ近くに寄ってきた人たちもいるかもしれない。そういった人たちは私が仕事を辞めればきっと去っていくのだろう。
寂しいものである。
ホリエモンが言っていた。
「日本人はどうして一つの職場にこだわるのか。そこを定年退職した時に、何も残らないことになぜ気付けないのか。」
その通りだと思う。
教員は潰しが効かない職業だ。
ある程度の地位や立場の中で仕事をしてきた手前、プライドも邪魔するかもしれない。かといって一般的な社会で役に立つスキルに長けているかといえば、そうでもない。
でも、自分だけにできることはないだろうか。
これまでやってきたことを生かせるような、そんな仕事はないだろうか。
丸腰になった自分を、信頼してくれる人はいないだろうか。
そんなことを考える毎日である。